






芭蕉同窓会東京支部
芭蕉同窓会とは
北海道根室高等学校は北海道庁立根室実業学校として明治39年(1906)年5月1日開校、同年6月29日には職員、生徒を会員として「芭蕉立志会」が組織されました。この「芭蕉立志会」は、徳性の涵養、知識の交換、会員の親睦を目的とする校友会であり、現在のPTA活動を担う組織でした。校友会から同窓会活動を分離し独立させたものが「芭蕉同窓会」であり、大正15(1926)年4月に発足しました。
発足当時の名称は「芭商同窓会」でしたが、昭和25年(1950)年4月1日、現在の北海道根室高等学校として男女共学の新制高校として歩みをはじめるまで、男子校であった商業学校、中学校は道立根室高等学校と改称され、転換が相次いだ時点で「商」の文字が「蕉」に改正されました。
一方、北海道立根室女子高等学校の同窓会は、根室町立女子職業学校、道立根室実科高等女学校、北海道立根室高等女学校の卒業生を対象としていました。
男女両校の統合を受け同窓会の統合が検討され、昭和27年(1952)年1月20に行われた第21回芭蕉同窓会総会で統合が決定され、現在の同窓会組織になりました。
「芭蕉同窓会」の会員は、北海道庁立根室実業学校、北海道庁立根室商業学校、根室実業夜学校、北海道庁立根室中学校、北海道根室高等学校、根室女子職業学校、北海道庁立根室実科高等女学校、北海道庁立根室高等学校女学校、北海道立根室女子高等学校の卒業生及びかつて在学していたもので会員の紹介により本会の承認を得た方々です。
現在、「芭蕉同窓会」の全国会員数は25,000人を超え、例年1月には根室市において、母校の発展と会員の親睦を図ることを目的に総会・懇親会が開催されております。
支部活動も盛んであり、東京支部の他、北海道内各地に支部組織が設立されています。
東京支部は、昭和7年(1932)年5月1日に発足。昭和40年代は支部活動が停滞しましたが、昭和50年代は支部活動も活発となり、平成元年以降は支部役員を中心に定期的に会合を持ち、例年5月に東京支部総会・懇親会を開催しております。令和2年以降、新型コロナウイルス感染症のため開催が中断された時期もありますが、令和5年から再開されています。
また、令和6年の総会では、安定的な支部活動を継続することと、支部役員の負担軽減を図るべく「会則」の見直しを実施、総会の運営を担う期別当番幹事が、翌年の支部役員を互選することとなりましたた。
本年度は「高30期・昭和53年」の卒業生が役員を務めることとなり、母校・ふるさと根室をおもい東京支部活動を続けています。
母校の沿革と芭蕉同窓会
各校校歌一覧
一、大和島根の岸洗う 潮も清き北海の
常盤ヶ丘に燦爛と 希望の光仰ぐとき
母校の健児感激の 血潮ぞ胸に鳴りひびく
二、彼の風蓮や落日の 芭蕉の波に金色の
影さし添えば紅に 敢為の旗をひるがえし
蒼芒高く雲を衝く 我等が理想ここにあり
三、見よ東の空冴えて 光眩ゆき爺岳より
勤倹進取の意気高く 高き調べをあげ行かば
天地の正気我が胸に 凝りて久遠に輝かん
四、ああ紅原に清高の 士魂商才果を結び
蕉ずる香り永劫に もえもいずるわが母校
いざや根室の栄えしるく 清き光をさし添えん
大須賀 積 作詞
岡野 貞一 作曲
根室商業学校校歌
根室高校旧校歌
根室女学校校歌
一、大和島根ぞあけ初むる
東の国わが根室
栄ある光みにうけて
まことの霊研かなむ
二、めぐる親潮八十千島
海幸の郷我が根室
深き恵をたたえつつ
垂乳根の道いそしまむ
三、北斗輝やう弥生丘
希望の都わが根室
貴き使命かしこみて
永遠に仰がんみことのり
一、道遠くして果てなくも
求めてやまぬ若人の
思い遥かに北を差す
星より強くきらめきて
あゝ学舎よ夢多き
二、重くとどろく北の海
不屈の魂の育つ里
広く豊に逞しく
北の世界の灯とならん
あゝ学舎よ誇りもて
三、雪割草の萌えいづる
雲はるかなる牧の内
若き心をゆさぶりて
理想の鐘の鳴るところ
あゝ学舎よ大いなれ
更科 源蔵 作詞
飯田 三郎 作曲
根室高等学校校歌
一、吹雪の朝霧の夕
吾が学舎の栄光のため
磨き来りし剣はさえぬ
いざ中原に鹿を獲む
二、士道の跡はたえずして
常盤が丘に光あり
芭蕉の建業礎固し
大鵬今ぞ南せむ
三、いざ行け友よ意気高く
勝を目指して一筋に
再びあはむ其日の汝が
額に栄ゆる勝じるし
木村 伍一 作詞
渡辺 悟門 作曲
壮行歌
一、奮い起て母校の健児
雲を得し蛟竜のごと
雨呼ぶか将また風か
遮らん何物もなし
二、朔北の吹雪を御して
戦場の門出につかん
覇者のほこ正義の剣
防ぎえん敵の影なし
三、凱戦栄光の盃
白銀の月影うかべ
戦神御座に近く
嗚呼吾が友功を語らん
木村 伍一 作詞
渡辺 悟門 作曲
応援歌